秋桜(こすもす) 俳句コラム


「俳句以前」


俳人・・・倉田紘文
(社団法人俳人協会理事)
 誰もみんな、かつては子どもだったのです。そして大人は誰も、その子どもだったころの、あの純真でやわらかな心を忘れがちなのです。

ゆきだるま一人ぼっちで雪の中      青井大悟
病院の父に七くさ持ってゆく         疋田映子

 これらの俳句はみな小学生の作品です。大悟君の「ゆきだるま」に対する思いやりの心はどうでしょう。「一人ぼっちで雪の中」と、その雪だるまの淋しさを大悟君も一緒になって感じているのです。なんともやさしい気持ちの一句です。
 次の「病院の父に」の映子さんの孝行ぶりは見事ですね。もちろん一日も早くよくなってほしい願いが込められているのですが、「七くさ粥」の古い習慣をそのままに受けて、ひたすらに父の快癒を祈る思いが美しく伝わってきます。

 これらの作品はその俳句自体も仕上がりが立派なのですが、私はそのことと同時に、この子どもたちの心のあり方に深く感銘したのです。みんなとても優しいのです。思いやりがあり、人として立派なのです。
 私はこのことを「俳句以前」と言っています。俳句は人が作るのですから、よい俳句を作るためにはまずその作者自身がよくなければなりません。俳人である前に、まずその人が人間として立派でなければなりません。
 ここでいう立派とは、何も地位があるとか、学歴があるとか、お金持ちだとかということではありません。人としての優しい思いやりのある心、人としての自省の心、それから人間としてあるべきごく当たりまえのことを言っているのです。その当たりまえであることが、実はなかなかむずかしいのです。だから先の子どもたちの心のあり方とその句が、とても感動的なのです。

 ものごとに対して何にでも純粋でひたすらな子どもたち、そこには大人の私たちが失った純真さとやわらかさがみちています。かつての子どもである大人の私たちも、いま一度この心にたちもどりたいものです。


(朝日新聞社刊『至福の俳句・・・これから俳句を始める人に』より抜粋)
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